続き書く前に思い出した小話をば…
僕、タバコ吸い出したの20歳越えてからなんすよね
でもライブハウスには10代の頃から行ってて
行く先々で
「火、持ってますか?」
「ライター貸してください」とか…よう言われましてね
何故か山田少年は
「ヤバい!かっこ悪い!」
って思ったのです。
って事でライブハウスへの必需品としてライターを必ず持って行くようになりました。
それからと言うもの「貸して」と言われたら
「あぁ…火すか?いっすよ?」
くらいの余裕感出してお貸ししてました。
まぁ、ある日「一本下さい」と言う最強呪文を放たれて
「僕、吸わないんす」
と言ってしまったのですがね…
ま、ライター持ってくのは俺なりのライブに向かうマナーだったんです
(いまやホール内禁煙とかがほとんどなんでアレなんですけどね)
ほんで何の話やねん!笑
気をとりなおして…
harmonize を始めるちょっと前くらいにベイサイドジェニーの憧れのイベント「RHYTHM RHYME & CORE」に誘われ断った悔しさを覚えております。
それをバネにってわけではありませんがコツコツと曲を作りましてね、初ライブをしました。
ほんで相変わらずスタジオ練習してライブが決まって…
しかし、だんだんスタジオに先輩ギタリストが来なくなりまして…
とうとうライブ当日も来ませんでした…笑
創志はバッキングギターだったので印象的なリフは先輩の担当、創志には上手いことバッキングを兼ねつつリフを放り込んで貰いました。(創志19歳)
そんなこんなでフェードアウトを決め込んだメンバーもいつつ、四人に落ち着きました。
ある程度曲数が出来た頃、ウーピーズにてレコーディング
デモテープを作成、無料配布。
そんなタイミングで SPREAD がウーピーズでイベントを開催
ゲストは COOLER KING McQUEEN . NOT REBOUND そして地元バンドとして我々が…
いや、Right Mop Ears も一緒に出てたか?
(京都にHi-STANDARDが来たら彼らかTOASTだった)
そしてチケット代が800円。
たしか春先のイベントだったのもあり
京都に来たての学生が多く来てた様で
現在U-STONEグループで働く 赤士 や サクの間 の ハッシー なんかもこのライブに来てたと後に聞かされる事となる。
また、はじめて間もないのに縁あって大阪のイベントにも呼んでもらった。
現在 礎レコード の 久保くん がやってる「KNOW REASON WHY...」ってイベント
その vol.0 に出演、この時はカメラマンの哲平くんと二人で企画してたのでそのご縁でね。
(ハイスタとかのカメラマンです、アメリカツアーでバスから降ろされ単身アメリカに残された経験のあるお人)
でっかいベイサイドジェニーでかなりゴリゴリな先輩バンド
(GUILTY SKALLS . JOHN HOLMEZ . SUCK DOWN等)
に混じり若手が二組
俺らと DAMMY SYSTEM
同世代で結果的には仲良くなったけど、こいつらも十分怖かった。
(ギターのポンチは後に BATCAVE に加入)
ライブの記憶なんて到底ない。怖かったから。
イベントTee に名前が入る喜びはこの時に感じたね。うん。
シャツなんかも簡単に作れる時代じゃなかったし。
梅田にギルドってライブハウスがあったんです。
(SPREADが歌ってるギルドは、そのギルドです )
どんなハコか説明するとビルの貯水槽が設置されている
…なんつーかボイラー室的な…それです。
正方形を3分割
1/3はステージ、1/3は客席、1/3は音響、照明、貯水槽…
ほんとにワンルームくらいの大きさ。
なんでギルドの話するかって言うと、たしかクリスマスにイベントに誘われて出たんすよ。
京都に 2ndplus1 ってバンドが居て
京都なのに何故か梅田で企画してたんです。笑
で、その企画で対バンして、仲良くなった県外のバンド
それが今も頑張ってる G-FREAK FACTORY
ピュアーな僕は「Gは GUNDAM のGかな?」とか思っておりました(マジ)
仲良くなったきっかけは俺が使っていた BOSS の DD-5(デジタルディレイ)
ギター用のコンパクトエフェクターなんですがマイクケーブルのジャックをシールドジャックに改造して
オスとメス両方用意してマイクに使っておりましてね…
Gの茂木が「なにそれ?なにそれ?」
ってリハ直後にステージに来たの
ほんでなんやかんや説明と使用方法を…
そしたら次会ったら「買っちゃった!」って。
そう、今なお彼が使ってるアレ、俺の影響です。笑 (本人談)
もういっこ出会いを書いて終わろうかな…
相変わらずSUCK DOWNのライブには顔出してましてね
そんな中、東京の FUNKAKNUCKLE ってバンドを紹介して貰った。
かなりオシャレでイケてるミクスチャーバンド、そしていい人たちだった。
しばらくして ベイサイド で ファンカ が サック と対バンだったのだが
ファンカにも俺みたいに後輩が付いて来てた。
モアイくん と 宇宙くん と言う二人。
二人は CABLE ってバンドやってるらしく
すぐに意気投合してお互いにデモテープを交換した。
(最近「あ、いま音源持ってないす」ってあるじゃない?あれ、損じゃないか?
ライブじゃなくてもいつでもどこでも自分達のでは持ち歩いてました、そして彼らもそうだった)
彼らの名前でピンと来た人もいるかもしれないですが、正解です。
現在、ENDZWECK をやってる二人です。
貰ったデモテープはえらいカッコ良くて直ぐに連絡した
「京都に来てよ!」って…
てなわけで超無名だった CABLE の初遠征は
京都WHOOPEE'S〜そっとCRANKを添えて〜
後に、CABLE . CRANK . harmonize で4ヶ所回った。
誰も正式音源なんて出してない、単独じゃ到底相手にされない、そんな時代に回れた経験はデカかった。。。
いまじゃ普通の事だけど。。。
そんな出会いの事、忘れてたけどブログを機に思い出せて良かった。
次回はドサ回りの事になりますかね。ドサ?