おかげさまでバンドもコツコツ頑張りまして、大好きなバンドのひとつWRENCH ともツーマン出来たり…
これも興奮したなぁ…打ち上げ。。。
4:4やしね…ファイナルファンタジーの話したわ!笑
この頃にシャツをタイダイに染めるのにハマる。
基本、レンチTeeは絞りで染めてました、染める為にバンドTeeは白選んでみたりね!
さて、突如 NUTSが解散しました。
解散と言うかメロコアに飽きた様です。
working class hero と言う名前になりました。
かっこよかったです。
彼らは結構早めにリリースが決まりました。
START TODAY というまさかの SWITCH STYLE のレーベルから drumkan とのスプリットを。
その頃、working は車がなかったので、よく一緒にウロウロしてたのですが良い出会いがありました。
buddhistson という柏の3人組バンド
みんな同い年、イケテル。
(後に、5人になり、ドラムの嶌田は OCEANLANE や kamomekamome でも叩いている)
たしか熊谷のVOGUEで会ったのだが、外で3人で蹴鞠しとったな…
その後も蹴鞠は流行る事なく終わった。笑
以前にも書いた通り、当時の僕は
「関西おもんないな病」
でして、working の流れで千葉の会社である START TODAY社 に就職しないか?
と、お話をいただいた。
スタートトゥデイ はネット云々がない頃に国内外、有名無名関係なく音源や物販の通販を日本で最初にした会社だ(と、思う)
手順は、
ハガキを送って資料請求
↓
カタログ届く(タウンページみたいな細かさ)
↓
商品選んで送り返す
↓
代金引換。
こんな感じ。
めちゃくちゃ斬新でお世話になった会社である。
当時のスタートトゥデイは5人くらいでやってたかな?
会社も見に行ったりして…
でも、なんか踏み切れなかったのです。。。
もし行ってたら今は ZOZOTOWN の上の方に居たかも…笑
そう、START TODAY はあの上場企業、ZOZOの大元なんですね。
逃した!笑
まぁ逃した理由は関西を面白く感じ始めたのも理由の一つです。
これくらいの時期だと思うのですがね
ちょっと「チャラいな」と思っていた FLAG•SHIP (Vo.アヅマック•タキオーライ / Bs.教授 は現フーイナム)と仲良くなりましたね。
同い年ってのもあって…。
まずはギターのサトシからだった様な…
こいつはまぁ万年補欠のサッカー部(タキオーライ、教授はレギュラー)を三年間頑張り
現役最後の試合の後半、監督の計らいで
「山本、体温めとけ!」
と、初の試合出場予告に興奮
部室にレガース(ソックスの中に入れる脛当て)を取りに走る。
その際に足を挫き出場を断念する。
と、いう偉業の持ち主。
おわかりの通り曲は全てサトシが書いてました。
仲良くなってどうなったか…
めちゃくちゃボウリングに行きました。それだけ。
同時期に 10-FEET や ロットングラフティー も顔見知りになる
当時は仲間仲間してなくて同じシーンにいることをなんとなく意識する感じ
かっこよく言えばライバル的な…でも敵ではない。
会えば挨拶もするし、企画も誘われたり
(10-FEET は昔から年齢やら関係なく良いモンは良い。と判断してたな NUTS や BLUE CHEESE にもカッコええ!って言ってた、変わってないなw)
ほんで少しずつ 10- や ロットン との距離も縮まりはじめ
ボウリングに行きまくりました。
あと 10-FEET はライブしすぎでした。
月5〜6本はウーピーズ出てたんちゃうかな?
ブッキング も イベント も 高校生レンタル のゲストとしても。
でも、必ずデモテープは売れてたし、確実にみんなが曲を憶えていった。
ボンボンゴンゴン(これ、10-のイベント名)
そして、一番俺に大きな影響を与えてくれたのが MOGA THE ¥5 である。
アナログは持っていた。
出会いは突然
当時チャットと言うのが流行ってましてね、インターネット上で行うLINE的な。
いや、もっとリアルタイムかな…
部屋 ってとこに誰それが居て、入室
入室してるって事はパソコンの前にその人が居るので会話はリアルタイムで動きます。
俺らが良く使っていたのは POT SHOT のホームページにリンクされていた PUNK CHAT と言う部屋
ここではたくさんの人繋がった。
FLAKE RECORDS の DAWA や、いまもDJイベントをオーガナイズしまくってる Shim Tatsuya 、モガでギター弾いてた キング なんかもそう。
キングなんて後に一緒にバンドやってるし。
ある日、PUNK CHAT(通称パンチャ)にHN(ハンドルネーム) 「モガ」と言う人が居た。
いま思えば、まんま である。