山田昌記:2

義務教育という事もあり、無事に中学校に入学出来た私。

徐々に新たな音に出会いました。

この頃は B-Gram ってレーベルがなかなか力を持ってましたね。

ZARD / 大黒摩季 / ZYYG / WANDS とか、あと ZAIN ってレーベルも… ま、作詞やら作曲が 上杉昇 / 織田哲郎 / 大黒摩季 で回される、素晴らしく自給自足な感じ。

(これっていまバンドでレーベルしてる人らはやらんのかな?曲作りが得意なやつも不得意なやつもいるやろうに…とかいま思った)

 

中学生ともなると俗にいう ヤンキー が登場するわけで先輩ヤンキーから後輩のヤンキーへ数々のヴィジュアルバンドが教えられるわけです。

京都なんでね、DECAMERON /かまいたち の兄弟バンド辺りを筆頭に、BY-SEXUAL やら BACK-TICK とか

ヴィジュアルな様なそうでない様な BOOWY / ZIGGY なんかまで…

ボウイとバクチクは兄の影響もあり皆がワーワー言うてる頃には一通り聞き終わってました(レコードで)

この頃にはもう布袋さんのソロや吉川晃司とのユニット COMPLEX も始まってたような…

 

しかしながらこの頃は音楽的な変化はなくバスケ部の部活にまぁまぁ夢中になってました(小柄な私はガード担当)

 

そんなある日、友人のアコギ演奏がラジオで流れる「楽器を演奏するって凄いなぁ」と他人事で済ます

(彼は後に working class hero / up and coming でベースを担当)

今思えばなぜこの頃ギターを触らなかったのだろう…

 

さておき吹奏楽部が激強だった中学校での生活は

バスケと

石灰を舐めてピリピリした舌と

ヤンキーに呼び出され しばかれた思い出と

前歯の出てる友人が先生に「なに笑ってんねん!」としばかれた事件と

プールの後寒いのは「身体に付いた水滴を切ればマシになる」と水泳部のヤツに教えられた知識に尽きます。

 

思い返せば中学校…なにしてたんだろ…

 

 

今回つまらんな。笑