山田昌記:15

京都での夜を共にし、意気投合した我々harmonize . CABLE(現ENDZWECK) . CRANKで「ツアーに行こう」という事になった。

 

無論、個々で回ったところで全くの無名で相手にもされない事もわかってたので3バンドで…

しかし、3バンドでハコにお願いなんてしようものなら完全なる迷惑でしかない。

客の呼べないバンドが2つ、3つ来たところでお客さんを呼ぶのは地元バンド。

でも、ツアーバンド数が多いので地元枠が減る→お客さん入らない、売り上げにならない。

って事。

 

俺らはそれぞれの街での企画を、友達にお願いする方法で四ヶ所でライブさせてもらった。

 

まずは

富山高岡もみの木ハウス…へ行く途中の高速で浮かれきった CRANK のドラマー 児玉 はウチの車を抜き去る際に窓から顔を出しおちょくってたら眼鏡が飛び、紛失。

というミラクルを起こす。

さておき、富山は CRANK のツテで UP SET BEHIND と言うバンドの企画

憧れのハコにいきなり行けた、ハードコアバンドばかりの一日、高校の同級生も来てくれたりしたなー。

 

群馬前橋FLEEZ…ウチのツテで G-FREAK FACTORY企画

衝撃だった…Gが企画するってだけで200人くらい入ってた…

そしてGのライブが恐ろしく盛り上がってた。

CRANKと一緒に

「地元バンドのライブでお客さんみんながこんなに歌って盛り上がるのか!?」

と、自分らの無力さを見せつけられた気分だった。

 

そして CABLE の街、埼玉は熊谷へ…下道で。

この時CABLE号はパワステのベルトが切れ、完全に重いステアリング。

メンバー13人、車三台。

 

まず、運転手数人で どの車を運転するかを決め、さらに残りがどれに乗り込むか…

この方法でバンドメンバー間の距離はめちゃくちゃ縮まった。

下道だけど…わたくしは何とか重ステ車の同乗枠をゲット

のんびり熊谷イン!

熊谷VOGUE(現HEAVEN'S ROCK)…は自社ビル、ライブハウスの為に作られた建物の仕組みに感動したのを覚えている。。。

この時に紹介してもらったのが 新星堂 の 山さん(現MORTOR RECORD) や、後の GRAIND SHAFT のメンバーなど、

エンズが地元でしっかりと縦横のパイプを繋いでいるのを感じれた。

オープンまでに3バンドで熊谷駅までフライヤーを配りに行ったのも印象的な思い出である。

 

そして最終日は京都WHOOPEE'S …我々3バンドとUP SET BEHIND / G-FREAK FACTORY …

しかし当時のGのベースが高校生でバッチリ始業式と被りキャンセル…

 

当日、メンバーは京都まで来てくれて一日中悔しそうであった…

(このメンツは後日改めてウーピーズにて集まりライブをする…が、その時は俺らが出れなかったw)

 

 

この頃、元GRUBBYの鈴木さん、ヒロシくんからなる  PULLING TEETH が「年間150本ライブ」という目標を立て

(フタを開けると年間180本やってしまっていた。)

三ヶ月に一回のペースで京都に来てくれていた。

 

憧れすぎる人であり大好きすぎるバンドなので大歓迎!

くる度にお客さんも対バンもしっかりサポートする様になったのだが…

何を思ったか俺は

「関西圏、連れて行ってください!」

なんて事を打ち上げで言ってしまった。

 

そしたらプリングが回る関西圏に話をしてくれ harmonize も同行出来る事になった。

PULLING TEETH / PANORAMA AFRO / harmonize で回る四ヶ所…

おこがましいにも程があるツアーだ。

 

まずは滋賀、堅田HUCKLE BELLY …はっきり言ってふわふわしてて覚えてない。

確かな記憶はPULLINGのライブを2階から観てて涙が出た事。

いわゆる感動である、凄く好きだったバンドと一緒に演る…

いや、ツアーっていうね…。

「あかん、あかん、まだ初日や。」

って正気を取り戻したもんです。

 

次に神戸STAR CLUB …当時店長は本谷さんという超クセのある人でして…とりあえず創志が気にいられてた気がする。

 

そこから南下し、奈良NEVERLAND…当時のネバランは駅前の商店街内のゲームセンターの上にありました。

この日、企画してたのが creep と言うバンド、現在RAZORS EDGE / pangea / shining april records で活躍中の吉条くんがドラマーでして、この時に出会いました。

奈良では創志が珍しくギターの弦を切りました。

PULLING TEETHのスタッフさんがスッと代わりのギターを差し出し

次の曲には新しい弦に張り替えられ返ってきた…

変な話、「一緒にツアーを回っている」気がした瞬間である。

なんというか「一緒に回っていると思って貰っている。」

と、いうか…笑

 

その人が、ハイスタ復活の際にももちろん袖に居た、ESP のギターテック 丹生さん(TAN-SHOT氏)である。

この日の打ち上げが死ぬ程楽しかった記憶がある。

もちろん鬼の様に潰れてはいたが楽しかった。

パノラマアフロともこの日いっぱい喋れた、笑った。

 

さてさて、最終日(俺ら的な)は、ありがとうございます京都WHOOPEE'S…リハ前の準備中にトイレに行くとプリング鈴木さんが血を吐いていた。

 

もちろん酒だ。笑

 

シュッと端折ってライブ終了。

 

俺は鈴木さんに「4日間ありがとうございました」と言う。

鈴木さんは言った「打ち上げ終わってねーよ」

 

若造をツアーに連れてくリスクを負ってもらったのもあるし、

有名な酒豪バンドと知りつつ食らいつく様に打ち上げで呑みまくった。

 

限界が来たら

「すみません五分ください!」

で、トイレにダッシュして指入れて吐いてダッシュで戻る

「お待たせしました!」

って即一気。

 

後半になると面倒なのでビニール袋を耳から下げて呑む、すぐ吐けるからね!

 

そんな最終日、鈴木さんに隣に呼ばれる

 

「4日間よく呑んだな」

 

これは 「いっぱい一緒に呑んだね」 の意味ではない。

いわゆる、「よくぞ呑み続けた の意味である。」

いやぁ…嬉しかった。

 

そして、「ウイスキーでいいか?」っていって

鈴木さんが自ら氷を入れてウイスキーを注いで俺にくれた。

 

泣いた。

 

もちろんウイスキーなんざ呑めん、今も呑めん!

けど、美味かった。

最高に。

 

ベロベロのまま打ち上げは終わり、ツアーバンドを見送った直後、記憶を失う。

 

気がつくと家の前で兄貴に担がれていた…笑

雨の中、呑み屋付近でぶっ倒れて寝ていたそうな…。

 

そんな思い出深い現場50m圏内に住んでいる僕。

 

あ、違和感感じましたか?「メンバーは?」って、「店員は?」って…

 

いやぁ自分で呑んでるんですから潰れても自分のせいでしょ?

なのでなんかわからんけど基本はどーにかこーにか帰ってましたね…大丈夫、大丈夫って気合いで。

 

まぁ全然アカンにゃろけど。笑

 

だから呑めって事が言いたいわけではございません。

なんなら最近呑めませんし。。。

でも、呑むにしろ呑まないにしろ、打ち上げ ってのは凄く大事なもんなんですよね。俺的に。

 

色々な人に会えた、色々な話が聞けた、色々な事に繋がった、バカな質問しまくった

 

けど、知れた。

 

 

 

んー、真面目すぎたら面白くないな。。。